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【読者企画】小宮山利恵子さんインタビュー② 心から納得できる仕事への道のり、やはり教育。

株式会社ベネッセコーポレーションに転職

小室:永田町での秘書生活から民間企業に転職したのですよね。

小宮山:はい。結婚を機に議員秘書を辞め、株式会社ベネッセコーポレーションに転職しました。子どもを産んで半年後のことでした。

 国会議員秘書は実は職務経歴から民間企業で勤務するための能力を測りづらいようで、私が永田町にいた頃は、議員が落選などの理由で失職すると他の議員の秘書になることが多かったと記憶しています。そのため、最初、転職エージェントに行ったとき、何ができるかいまいち上手く説明できませんでした。私を担当して下さったコンサルタントの方といろいろ話し合った結果、民間企業の役員秘書の仕事を探そうという話になりました。

 国会議員秘書の頃、若者の政治参加についても関心があり、本(『若者たちの“政治革命”―組織からネットワークへ (中公新書ラクレ)』)も共著で出版しました。当時史上最年少での新書出版だったと思います。

 教育に関心があったのでその事業がある企業に行きたかった。ただ、そう選り好みしていられる状況ではありませんでした。当時は、小さい子どもがいるというだけで、断られたこともありました。私は小学生の頃から阪神タイガースファンで六甲おろしを3番まで歌える程だったのに、他球団の代表秘書にも応募したくらいです。それまでにいくつか内定を頂いた会社もありましたが、最後にエージェントから紹介された会社がベネッセで、同社と良いご縁を頂き、福武總一郎さん(現:ベネッセホールディグス最高顧問、当時:会長)の秘書をさせて頂くことになりました。

小室:どんな面接を受けたのですか。

小宮山:面接は数回ありましたが、最後は福武会長との直接面接でした。教育の話から人生の話まで幅広くお話させて頂く機会があり、あっという間に面接時間が終了になりました。

小室:そして民間企業で働き始めます。

小宮山:会長秘書の仕事を始めました。すると民間企業の働き方と国会議員秘書とで働き方が全然違うことに気付きました。国会議員秘書はさながら零細企業のような環境なのです。それこそ資金に余裕のある議員事務所は、政策秘書や公設秘書の他にも私設秘書を多く雇えますが、秘書の人数が5、6人のところもあり、秘書一人当たりの業務範囲が多岐に亘っていました。それこそ朝の駅前でのビラ配りから始まり、永田町の事務所に戻って日程調整、委員会での質問の補佐や、選挙の際にはずっと泊りがけで活動を行うといったところ。その他、省庁からのレク(省庁の官僚から特定事項について直接説明を受けること)やインターンの管理もしていました。

 一方、民間企業だと秘書の担当業務が他の部門との間できれいに線引きされていました。それに最初はなかなか慣れなかったですね。

 2年経ち、ようやく落ち着いてきたところ、会長が海外に生活の拠点を移すことになり、秘書業務が不要になってしまいました。そこで担当業務を変える必要があったところ、ちょうどグループ会社のベルリッツ・インターナショナル(現ベルリッツ・コーポレーション)がワールドワイドフランチャイズマネージャーの職を募集しているという話があり、手を挙げたら運良く承認され、出向して約2年働きました。

小室:その仕事は充実していたのですか。

小宮山:世界に点在するフランチャイズを訪問する監査業務などもあり、充実していました。同僚も上司を除けば外国人ばかりで、初めて学ぶことも多く、退職した今でも友人として交流している方もいます。ただ、福武会長の存在が私の中では特に大きく、仕事をしていく中でじっくり教育に取り組みたいという想いが強くなり、次にどこに行くかも決めないまま退職しました。

 

グリー株式会社に転職

小宮山:一息ついてじっくり考えてみました。そうすると、教育の事業、それも「教育×テクノロジー」、「教育×ゲーム」という発想から何かこれからの未来の学びにヒントになるものがあるのではと考えるようになりました。その上で職を探した結果、グリーさんとご縁を頂き、同社のCSR部門に所属することになりました。

小室:教育にテクノロジーを掛け算しよう(組み合わせよう)と思った経緯は何ですか。

小宮山:ちょうどその頃、ソーシャルゲームが流行っていて、電車に乗ると周りの人は何らかのゲームをしているのをよく見かけました。かなり前から、子どものゲームに対する持続性や集中力などを教育に転用できないかという議論はあり、その話がいつも頭の中をよぎっていました。また、タブレットが教育の現場に入り始め、これからはテクノロジーを用いた新しい学びが出来るようになるのではと考えたのです。

 そのような中、同社の一員としてCSR活動で全国の学校を訪ね、情報モラルの啓発講演を通じてお子さんがどのようにスマホを利用すると良いかというテーマで話をさせていただくことになりました。一番人数が多い会場では1,500名の生徒さんに一度にお話ししたこともあります。

 多くの人の前で話す経験を積むという、貴重な機会も頂きました。

 そうこうしているうちに、ある方からお声掛け頂き東洋経済オンラインでICT教育について連載をさせて頂くことが決まりました。

 

取材が縁で株式会社リクルートマーケティングパートナーズへ

小室:東洋経済オンラインの記事に関連して様々なところに行っていますよね。

小宮山:はい、国内では島根県の離島・隠岐島の海士町にも伺いましたし、海外ではフィンランドやエストニアなど、ICT教育が盛んと言われている国だけではなく、インド、ブラジルなど途上国でのそれにも関心があり伺いました。国内外の学校をまわらせて頂く中で、自分の中でICT教育への関心が高まったのだと思います。

 東洋経済オンラインでの取材を進める中で、リクルート出身の藤原和博さんにあるイベントでお会いしました。元東京都杉並区立和田中学校の当時初の民間校長で、「よのなか科」など先進的な取り組みをされた方です。お話させて頂くと大変興味深かったため、東洋経済オンラインのライターとして取材させてほしいと依頼しました。内容が濃そうだったので、1回でなく2回構成の記事を制作したいとお話したところ了解して頂きました。インタビュー記事で前編は藤原和博さん、後編はスタディサプリ(当時受験サプリ)の方というものです。前編の取材が無事終わり、さあ後編という時、担当者が出てくるかなと思っていたらリクルートマーケティングパートナーズの社長である山口が登場して驚きました。

 山口に話を聞くと、教育に対し熱い想いがあり、子どもの将来をより良いものにしたいという気持ちがはっきりと伝わってきました。話を聞くうちに、このような教育に対する考えを持つ人の下で仕事をしたいと思うようになりました。そしてその後、ご縁を頂き入社しました。自分でも驚くような急展開でした。

小室:相思相愛なのですね。

小宮山:少なくとも、私は山口と一緒に働きたいという気持ちははっきり持っていました。それで2015年11月に入社しました。「スタディサプリ」には「世界の果てまで最高の学びを届けよう」というビジョンがあります。全ての子どもたちに安価で良質な教育を届けたい。そのような想いも込められており、教育環境格差に関する研究を進めるべく、シンクタンクを立ち上げようという話になりました。それが現在所属しているリクルート次世代教育研究院です。

小室:えっ!つい最近リクルートの一員になったのですか。

小宮山:はい。そしてNewsPicksで皆さんとお会いすることにもなりました(笑)。

 

インド・チェンナイの学校を訪れた際の様子

様々なところを訪ねた。これはインド・チェンナイの学校を訪れた際の様子。

■本記事の目次
第1回:サバサバ、ネアカ、それが私。
第3回:走りながら考えていこう

本読者投稿企画の記事は毎週火曜日午前7時にNewsPicksのタイムラインに配信します。
今後もご期待下さい。

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プロフィール

小室

小室 勝裕
1972年生まれ。京都市在住。
10年来、購買業務のうち間接材の取引見直しによるコスト削減を様々な立場で経験。コンサルテイング会社勤務時代には事業を西日本に拡大するに当たっての現場の最前線を背負う。事業企画、経営企画、そして内閣府に出向して国の制度改革にも貢献した後、製薬会社に転職、現在に至る。
週末は二児の父として子供と外出する日々。

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