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【読者企画】小宮山利恵子さんインタビュー① サバサバ、ネアカ、それが私。

小宮山 利恵子さん経歴
1977年東京都生まれ。早稲田大学大学院修了。株式会社ベネッセコーポレーション、グリー株式会社等を経て、株式会社リクルートマーケティング パートナーズ入社。財団法人International Women’s Club JapanにてSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)教育推進委員長。超党派国会議員連盟「教育におけるICT利活用促進をめざす議員連盟」有識者アドバイザー。東洋経済オンラインにてICT教育の連載を持つ。NewsPicksプロピッカー。
昨年12月にリクルート次世代教育研究院を設立。研究院では、ビッグデータとアダプティブラーニングの研究の他、子どもの貧困に関する研究を行う。

幼少期:お転婆というか腕白というか

小室:どんな少女時代を過ごしていましたか。

小宮山:とにかくサバサバした性格で男の子とばかり遊んでいましたね。男の子とファミコン4時間、5時間とか自転車で外遊びとか。家の中でおままごとはしませんでした。それこそ10時間くらい男の子と間に休憩を入れながらもファミコンで遊んでいるとそこからなぜか煙が出て2台目を買ってもらいました。

小室:すごいですね。

小宮山:とにかくゲームが好きでしたね。お年玉をもらっても、それを全額本屋にあったアーケードゲームに費やし、親からこっぴどく怒られたこともあります。それと、男の子ばかりと遊んでいたこともあり、小4まではいたずらをよくしていました。遠慮というものを全くしてなくて、それこそ木登りで落下して骨折しても松葉杖で歩くことについてそれはそれで面白いな、と考えているくらいネアカでへこたれない人でした。

 そんな生活も5年生になった時に変わりました。その時の私に合う先生が担任になったのですよね。4年生の時までは細々と注意されていましたが、その先生は子どもにある程度裁量を持たせて自由にさせてくれました。上級学年になったからかもしれませんね。その分きちんとしないといけないと思うようになりました。そのせいか、その担任の先生から面談で、利恵子さんはお転婆だけど大人になったらがらっと変わりますよ、と言っていただきました。親は半信半疑だったみたいですけどね。

小室:小学校を卒業する頃はどんな子でしたか。

小宮山:卒業文集で「将来スーパーのレジのお姉さんになりたい」と書いていました。とにかく身近で具体的。女の子だと花屋さんなのかもしれないけど、花みたいな女の子っぽいものには当時は全然興味がなかったです。(笑)

 

受験期:一心に勉強するのみ

小室:ううむ。そして中学生になります。

小宮山:中学生になってようやく女子らしくなり、女の子と遊ぶようになりました。

 そして中2の時に両親が離婚したんです。それからは母の元で妹、祖母と4人暮らし。経済的に厳しくなったので、母親と3歳差の妹を支えないといけないと考えるようになりました。母は私にそう思わせてしまうような姿を見せまいとしてましたが、私は子供ながらに何となく気づき、考えをがらっと変えるんだと誓ったのを今でも覚えています。

 高校は公立を受験したのですが落ちてしまい、仕方なく私立へ。母親にも妹にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そのため高校に入ってからは特に勉強に熱心になりました。いい成績を取りたいということもありますが、それ以上に奨学金を得て家計を楽にしたいと考えたのです。結局、高校で成績優秀者になって給付奨学金を頂きました。この頃は1日10時間、12時間勉強で外遊びを全くしませんでしたね。勉強というか奨学金第一。身なりに全く関心なし、友達ともほとんど遊ばない日々。そのためか成績は学年でずっと1位か2位でした。もっとも、頑張ることが先立っていたので、今思えば当時の自分の学習方法はとても非効率的だったと思います。

小室:大学受験はどうしましたか。

小宮山:国公立大学も考えましたがセンター試験が上手くいかず、代わりに私立大学を複数受験しました。高3の2月のある週はそれこそ毎日入学試験を受けていたような感覚でしたね。母親が「大学に進学したいのなら、行きたいところは全部受ければいい。受験のためのお金と初年度にかかるお金はあるから」と後押ししてくれました。

 結局明治大学文学部に入学して日本現代史を専攻することになります。コンビニの店員、家庭教師やビルの清掃、ディズニーランドでドーナツを売るなど色々なバイトを経験しながらも、明治大学で民間団体の給付奨学金を4年間いただき、そして大学院入学の際に日本育英会の奨学金を借りて生活をしていました。

 

社会人準備期: 何事も経験!経験!

小室:社会との関わりはどう進めて行きましたか。

小宮山:大学院では早稲田に通いました。そしてたまたま韓国の大学院で交換留学を募集しているという話を聞き、ソウルに交換留学し、国際関係学を学びました。ソウルの大学院の授業の中で、偶然政治学の授業を受講しました。授業を受けている中で、自身は日本の政治について何も知らないなと感じていたところ、日本の一政党のインターンをネットで見つけました。時は2002年、その政党の公式なインターンとしては1期生としての募集です。別に政党にこだわりはなかったので、いい機会だと思い応募したところ、通りました。

 帰国するとただちに参議院議員の秘書のインターンを始めました。

小室:インターン生活はどうでしたか。

小宮山:インターンをしている間に政治の面白さを感じ始めました。日々刻々と物事が動いていく。本会議は火・木・金に開催されるのですが直前まで開かれるかどうかわからない。重大案件を議論するかどうかがギリギリになってようやく決まるので、議員の禁足(筆者補足:一定の場所から外へ出るのを禁止すること)に合わせて夜遅くまで事務所にいることも少なからずありました。

 一方でありとあらゆる政策に関して学べるのも特徴的です。議員が所属している委員会以外でも官僚や学術機関、民間の有識者を招いて勉強させていただく機会を設けられます。それこそ毎日様々な部会が開催されており、世代に関係なく色々な人に会い、勉強させて頂きました。

小室:参議院議員一人に仕えたのですか。

小宮山:その後、その議員の方から私の関心に合うと思うよ、ということで別の地方を選挙区とする衆議院議員の秘書になりました。選挙になると地域によって選挙の雰囲気が違うことを知ることになります。

 地方選出の議員についた時間は大変濃く、私の中にある潜在的な関心が呼び覚まされたと感じています。国会議員の秘書は政策秘書、公設第1秘書、公設第2秘書、私設秘書に分かれます。私は私設秘書から政治の世界に入りましたが、ある議員の秘書の時には、国会にある事務所には政策秘書と私がいて、地元事務所には別の秘書がいました。衆院の場合、通常、国会と地元の2つの事務所を持つことになります。

 ある日、上司である第一秘書から、土日だけちょっと地元に行ってほしいと言われて軽装で地方に行きました。着くと第一秘書にアパートに案内されました。すると表札にガムテープが無造作に貼られていて私の名前が書いてあった。きょとんとしていると、ここにしばらく住んでもらうと言われたのです。布団があり、使っていいと言われた布団で一晩寝たら翌日凄く痒くなりました。それを第一秘書に言うと、「ごめん、あれカビだらけだから新しいの適当に買って」、と言われました。自転車や車がないとそもそも生活しづらいところですが両方ともなかったのです。それこそ自転車を買いに行くために片道5km歩いて店に行き、自転車を買ってふとんを積んで帰る。そういえばコンビニさえ徒歩圏内にはなかったですね。

 何とも大変でしたが、そんな環境を楽しんでもいました。予期せぬことも楽しかったのです。少し経つと、カエルの着ぐるみを着てイベントに参加する機会がありました。着たらもっとリアクションを大きくとれなど言われて。「そうか、着ぐるみは大きな動作をしないと見てる人に伝わらないのか」と、勉強になりました。いつどこで使うか分からない知識ですが。

 結局、数カ月そんな生活をしました。

小室:その後はどうしたのですか。

小宮山:議員秘書をさせて頂きながら、チュニジアに短期留学しました。夏にアフリカに行ってみたいという単純な思いが元々あったのですが、それに加えて「アラビア語の勉強をしてみたい」とも思ったのです。中東やアフリカのこれからの可能性を感じたのです。ただ、お金をあまり持っていないので留学に際して有効そうな奨学金を探しました。

 するとチュニジア政府奨学金を発見。全国で8名の募集。貸与でなく給付の奨学金です。他の政府奨学金だとアラビア語を学習済みであることが要件になっていて応募できなかったのですが、チュニジアだと未学習でもOK。まだアラビア語を知らなくても意欲はあるから申し込もう、ということです。アフリカやアラビア語に関心のありそうな知人にも声を掛けました。その人は当時学生だったので、時間的にはかなり融通がきき、アフリカやアラビア語に関心があるということだったので二人で、全国でアラビア語を学んでいる学生はどのくらいいるのかなどリサーチし、自分たちがこの奨学金を手にできる確率なども推測しました。それで、これはいけるかもしれないと応募したところ二人とも合格。元々、この奨学金自体あまり知られていないマイナーなものだったこともあり、合格できたのでしょう。

 ドアいろいろ。少し勇気をもって叩いてみると開くドアもあるものです。

■本記事の目次
第2回:心から納得できる仕事への道のり、やはり教育。
第3回:走りながら考えていこう

本読者投稿企画の記事は毎週火曜日午前7時にNewsPicksのタイムラインに配信します。
今後もご期待下さい。

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プロフィール

小室

小室 勝裕
1972年生まれ。京都市在住。
10年来、購買業務のうち間接材の取引見直しによるコスト削減を様々な立場で経験。コンサルテイング会社勤務時代には事業を西日本に拡大するに当たっての現場の最前線を背負う。事業企画、経営企画、そして内閣府に出向して国の制度改革にも貢献した後、製薬会社に転職、現在に至る。
週末は二児の父として子供と外出する日々。

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