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【読者企画】高島宗一郎さんインタビュー② アナウンサー、そして福岡市長へ

朝の報道番組 視聴率首位へ

小室:お父様は、大分の放送局でアナウンサーをされていらっしゃいましたが,ご出身は福岡市だそうですね。

高島:父は福岡市の南区出身で、実はあのタモリさんと小中学校で同じクラスだったんです。ですから父方の親戚はみんな福岡にいるのです。

小室:なるほど、福岡市には元々縁があるのですね。将来の選挙を見据えてアナウンサーを目指したというお話でしたが、アナウンサー自体も大変な難関と聞きます。特別に勉強はされていたのですか。

高島:いいえ全く(笑)。そもそも決意したのが入社試験の直前だったのです。でも入社して私自身がアナウンサー試験の面接官になった時に見ていたのも、その後の訓練で矯正しづらいサ行やラ行の読みのクセがないかというところぐらいなのです。原稿を読むテクニックにだけ長けている学生よりも、むしろ学生時代に何かに熱中したり、専門性を持っている学生の方が入社後に伸びていきます。アナウンスのテクニカルな部分は入社後に連日みっちり研修がありますから。

 翻って、私もパレスチナ問題に関して全国の学生の中で一番勉強し、行動してきたという自負はありましたので、面接ではその点を猛烈にアピールしました。仮にまた中東戦争が起きたら、「絶対に自分がキャスターとして伝えたい。それができるのは自分しかいない」と熱く語ったのを覚えています。喋りの技術よりも、その熱意を見ていただいたのではないかと思います。

小室:アナウンサー生活はいかがでしたか。

高島: 13年間、アナウンサーとして、とてもやり甲斐のある仕事をさせて頂きました。今でも私の大きな誇りです。

 また担当していた「アサデス。」という朝の番組に関して言うと、キャスターになった初年度は視聴率が全局中4位と低迷しており、連日4%台だったと記憶しています。しかしそうは言っても、他局を見ると、TBS系列は当時絶好調だった「みのもんたの朝ズバ」、フジテレビ系列は「めざましテレビ」で地方の局には真似しがたいキャスティング。それ以外の局も全国ネットの放送で強敵ぞろい。その中で圧倒的に予算の少ないローカル局が戦わなければならないのですから、もちろん簡単に勝てるはずはありません。しかし結果的には2年目から連日10%台になり、同時間帯の1位を連発しました。

小室:どうやって視聴率アップを図ったのですか。

高島徹底的に視聴率データを分析しました。毎朝8時45分に発表される1分毎の視聴率グラフを分析し、福岡の人がどういうものに興味があり、同じ情報でもどういう出し方をしたら見てもらえるのかを徹底的に研究し、放送でトライアンドエラーを繰り返しました。新聞記事を取り上げるにしても、決して単純に一面から紹介すればいいわけではありません。また、スポーツの話題にしても単にホークスを扱えばいいのではなく、ホークスのどの選手をどういう角度から扱えば数字になるのか、それぞれの担当スタッフが徹底的に研究しました。番組を回していくにあたり、何をどう見せたらいいのか、徹底した分析と検証を地道に繰り返したのです。この時の経験によって、地方のニーズは決して東京と同一ではないことを知ることができましたし、その違いを分析して勝負すれば、予算などで圧倒的に劣っていても東京にも勝てるんだという自信になりました。

 

学問と現実

小室:そして社会人生活を続けながら、九州大学大学院で政治学を専攻されました。

高島実は現在の大西熊本市長とは九州大学の大学院時代に社会人として同じ研究室で机を並べていたんです。お互い将来を見据えて、社会人として改めて学び直していました。当時の生活を振り返ると、朝2:30に起床、出社し、新聞記事を一通り読んでその日の番組の中で紹介する記事を選んでいました。自分が感動した、興奮した、という内容でないと画面を通じて視聴者に感動は伝わらないと考えていたので他人任せにはしませんでした。そして6:25から11:25まで番組に出て、12:30に会社員としての仕事は終わり。それから13:00から18:00過ぎまで大学院で勉学に励み、それからジムに通って一日終了、と体力的には大変でした。

 今、市長になってあらためて考えると、学問としての政治とリアルな政治、行政とが、いかにかけ離れたものであるかということを実感しています。学問では、物事は人が決めているんだという視点が欠けているなと思います。何かが決まっていくとき、物事はより合理的な方に収れんされていくと思われがちです。しかし、それがなぜ現実社会では実現しないか。現実には、いろんな「人」の思いや思惑があって、政治力学が働いて物事が決められていくからであり、ここを見極めていかないと現実の政治を理解することはできません。現実社会の動きは全て「人」が決めていることに注目をすると、全く違う視点で社会や制度を見ることができます。

 

いよいよ出馬

小室:そして2010年の福岡市長選に出馬します。

高島実は、出馬したのは自分が思い描いていたタイミングではありませんでした。元々将来の政治家の道を考えて学び直していた状況ではあったものの、元市長であった祖父の初盆の直後に、突然、自民党市議団の長老から市長選に出ないかと声がかかったのが実際のところです。

小室:そうなのですか。

高島そうです。当初は国会議員のイメージを持っていましたので、「どうして天は、私に市長戦に出るように言っているのか」と思ったのですが、にわかに「これが自分の使命、運命なんだ」と悟ったのですね。

 当時は、大阪府知事は橋下さん、宮崎県知事は東国原さんでした。首長によって地方はこんなに劇的に変わるんだな、ということを多くの方が実感していた時期です。

 首長と国会議員とで何が違うかと言うと、首長とは予算執行権を持っており、直接選挙で選ばれます。大統領制と同じですね。そこで自分がしたいことをスピード感をもって実現できるのは、実は地方の首長なのだと気付きました。さらに、その中でも県並みの「権限」と基礎自治体の「現場」の両方を持っている政令指定都市こそが様々なチャレンジができ、ロールモデルを創ることができると気が付いたのです。さらに、「私が良くしたいと決意した日本という国。この国は、それぞれの地方が集まって形づくられている。だから、地方を良くすることが日本全体を良くすることにつながっていくんだ」と。

 そう考えると、私が東京のキー局でなく、福岡の地元TV局でアナウンサーになり、福岡の素晴らしいところをたくさん知ることができたのも、まさにこの時のためだったのだとすごく納得ができました。

 こうすれば地方が輝くのだというロールモデルを福岡市がスピード感を持って示すことによって、他の地方が真似をする、あるいは負けるものかと努力をすることで、日本全体が変わっていく、良くなっていく。自分に与えられた使命はそういうリーダーシップをとることだと心底、腑に落ちたのです。

 

周囲は、友達は

小室:いざ出馬することになり、周囲の反応はいかがでしたか。

高島当初、私には友達がたくさんいると思っていました。朝番組の反応も良かったですし、実際に街中を歩いていても、よく声をかけられました。ところが出馬会見をした瞬間、全員、私の前から消えてしまいました(笑)。友達の顔を思い出しながら、選挙に協力してくれそうな人のリストみたいなものを作っていましたが、いかに考えが甘かったかを思い知らされました。陰ながら応援してると言って、選挙が終わるまで一切姿を現さなかったり(笑)。

 「友達」と言っても、実は大別すると「ただの知人」と「同志」がいると思うのですが、それまで私はそれらを区別しておらず、全て「友達」だと思っていたのです。

 基本的に自分が強い時、調子がいい時には周りに人が集まってきます。でも、自分に本当に助けが必要になったときに、残ってくれる人が同志になる人であって、その「同志を見極める目」が選挙で養われました。おかげで、自分自身がリスクを背負って発言する、実行する、そんな「同志」が今は全国でどんどん繋がってきていると感じています。多忙な毎日を送る自分にとって、その同士たちと心ゆくまで議論したり、新たなチャレンジへの夢を語り合ったりする時間がとても貴重なものとなっているので、「ただの知人」の数はむしろ少ない方がいいと思っています。

 「心から信頼できる同志」とともに、福岡、そして日本がもっと良くなるように、これからもどんどんチャレンジしていきたいですね。

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(取材協力)学生団体ivote福岡

■本記事の目次
第1回:人生を決定づけた中東での体験
第3回:市長になって
第4回:将来の展望

本読者投稿企画の記事は毎週月曜日午前7時にNewsPicksのタイムラインに配信します。
今後もご期待下さい。

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プロフィール

小室

小室 勝裕
1972年生まれ。京都市在住。
10年来、購買業務のうち間接材の取引見直しによるコスト削減を様々な立場で経験。コンサルテイング会社勤務時代には事業を西日本に拡大するに当たっての現場の最前線を背負う。事業企画、経営企画、そして内閣府に出向して国の制度改革にも貢献した後、製薬会社に転職、現在に至る。
週末は二児の父として子供と外出する日々。

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